愛を読むひと~The reader/Der vorleser
ベルリン3日目を前に足踏み状態が続いてしまいますが、ドイツ旅行記に関連して、ドイツが舞台のある映画のレビューをどうしても書き留めておきたくて…レビューといってもこの映画が公開されたのは今から6年も前のことで、最近までこの映画について全く何も知らずにいた自分にビックリしてしまいますが、公開当時の私は身内の看護でいっぱいいっぱいでエンタメ情報に疎かったのだということにしておきましょう。
数日前、ある人に薦められたコメディタッチの恋愛モノのDVDを借りようと近所のT○○T○Y○に行ったとき、たまたまそのDVDが置かれていた恋愛映画コーナーにドイツが舞台であるというこのDVDも置かれていて、内容も知らずただドイツというキーワードに惹かれて一緒に借りてきたのが
『愛を読むひと』(原題は『The Reader』/『Der Vorleser』)
でした。
私、ケイト・ウィンスレットにあんまり興味がなく、彼女の出演作を殆ど観たことなかったんです。かろうじて『タイタニック』は観ましたけどね…同じケイトならブランシェットの方が好きだな~、みたいな(^^ゞ
だからというわけでもありませんが、彼女がこの映画でオスカーを獲っていたことも今になって知った次第です。
そんな私が何故この映画についてブログに書き留めておこうだなんて気になったかと申しますと、ドイツが舞台の映画だからというよりは、切手(及び切手蒐集)がストーリー構成上ポイントとなる小道具として登場するということと、そして何より映画自体が実際は単なる恋愛モノではなく、鑑賞者にいろいろなことを考えさせる示唆に富んだ秀作であるということ、この2つが主な要因です。
私は原作の『朗読者』を読んでいないし、今のところ読むつもりはないので(基本的に映画がその原作に100%忠実である必然性はないと思っています)原作との違い云々は別に気にならないのですが、ただ、この映画の唯一かつ最大の難点は、アメリカ資本が入ったために台詞や登場人物の名前だけでなく手紙の文面に至るまで英語であるということ、そこに尽きます!映画化に際して原作者ベルンハルト・シュリンクが英語での製作を条件にしたとかって説もあり、本当のところどうしてオールイングリッシュになったのか真偽のほどは定かではないのですが(しかもネイティブイングリッシュではなく、あえてドイツ語訛りな英語で通しているので、イギリス人であるケイト・ウィンスレットが拙い英語を話すことに違和感も…)。
だがしかし。
結果論ではなく、これはやっぱりドイツ語で製作すべきでした。
ミヒャエルがマイケルだなんて、興ざめもいいところですよ~。この感覚、英語が母国語でない我々日本人は皆、少なからず抱くのではないでしょうか。ついでに言うと、ケイト・ウィンスレットの演技は素晴らしく、主人公ハンナの雰囲気にバッチリ合っていた☆という事実は置いといて、キャストも全員ドイツ人にすべきだったとも思っています。内容が内容だけに。
さて、ここでは主人公ハンナとミヒャエル(※映画ではマイケルってことになってるけど、私はミヒャエルでいきますよ!)の偶然の出会いと突然の別れまでを描いた映画前半の導入部で、私が気になったエピソードについて触れておきたいと思います。
下校中、突如具合が悪くなって土砂降りの雨の中嘔吐を繰り返したミヒャエル(15)を介抱し、家まで送り届けてくれたのがトラムの車掌ハンナ(36)で、猩紅熱と診断され数か月の自宅療養を経て快復した後、花束を持ってお礼に行ったミヒャエルはどこか影のある年上の女性ハンナの美しさに惹かれてゆき…この若い頃のミヒャエルを演じたドイツ人青年ダフィット・クロスくんが、とってもいいんです♪年老いてからのミヒャエルを演じるレイフ・ファインズよりはるかにイイ!レイフ・ファインズってどうしても『イングリッシュ・ペイシェント』なイメージが付きまとうんですよね~。
別に取りたててイケメンってわけじゃなく(失礼^^;)どこにでもいるような、でもどこか育ちの良さが感じられる素朴な少年の役にピッタリ。メインキャストの中で彼が唯一のドイツ人だってこともあるかもしれないけど、すごーくしっくりきます。
↑花束を持ってハンナにお礼を言いに来たときの一コマ。この屈託ないストレートな笑顔にハンナも心を動かされたのでしょうね~。
で、この切手蒐集が趣味の少年が猩紅熱で療養中、ストックブックの整理をするシーンがございまして…
おおっ!!
ストックブックがこんなリアルな形で登場した映画って、今まであったでしょうか?!(私が見たことないだけで、あったのかもしれませんが^^;)
発行年毎にストックする整理方法は、東西問わず当時のドイツにおいて主流だったのですね~。ドイツ旅行記 ㉖でお見せした、6月17日通りのフリマで購入したDDR切手のストックブック↓もまさにこの方法でストックされていました!下の方に1958って書かれた白いタブが見えますよね?これ、帰国後に私が挿入したわけじゃなく、購入時からこの状態だったんです。
ミヒャエルが開いているのは1958年発行の切手のページで、このストーリーが展開されているのがまさに1958年の西ドイツ。
彼の蒐集対象も当然西ドイツ切手中心ではありますが、右のページには西ベルリン切手がストックされています…なーんて詳細は映画を観ただけでは勿論気付かなかったけど、スクリーンショットを見て分析した結果判明しました(^^)v
体温計を咥えたミヒャエル、ピンセット持ってるのにそれを使わずに直接手でストックしてますねー。サイドテーブルにもストックブックが何冊か積まれていて、15歳にしてはかなりの蒐集家であることが窺えます。
そんなわけ(どんなわけ?^^;)で2人はあっという間に距離を縮めてしまい、ミヒャエルは放課後ハンナのアパートに入り浸るようになるのですが、ハンナの要望というか命令でミヒャエルが本を読み聞かせることが儀式のような習慣と化して(それこそがこの映画の根幹に関わる大きなポイントなのですが)…それにしてもミヒャエルは根気強い子だなぁ、と感心してしまうのは私だけでしょうか。だって朗読していた本がホメーロスの『オデュッセイア』とかトルストイの『戦争と平和』とか、どう考えても声に出して読むのは大変そうな作品が多いのです。時にはエルジェのタンタンシリーズみたいな肩の凝らないものも読んでましたけど。
いずれにしても、この当時の彼にしてみれば、それを読み終えた後に待つ喜びと引き換えの義務くらいな感覚だったのでしょうね。
この↑バスタブのシーンが微笑ましくて…ハンナが「あなたは上手だわ」みたいなことを呟いたらミヒャエルが「何が?」って聞き返したので、「本を読むことに決まってるじゃない(他に何が上手だっていうのよ?ぼうや!的なニュアンスが込められてましたね~^^)」って言いつつミヒャエルに水を浴びせる、みたいな他愛ないシーンなのですが、やたらめったら人を褒めたりするようなタイプじゃないハンナに朗読力を褒められたミヒャエルは自分に自信をつけ、以後、学業もがんばっちゃったりするんです。かわいーな~。
褒められて伸びるタイプ、なんでしょうか。いずれにしても、愛の力は偉大だー^^
私が、というかおそらくこの映画を観た誰もが印象的に感じられたシーンの一つにミヒャエルの発案・企画による一泊のサイクリング旅行ってのがあるのですが、2人が自転車で駆け抜ける田園風景が美しいのは勿論、個人的にはミヒャエルがその旅行費用を工面すべく切手を売りに行くってところに感動すら覚えました。
弱冠15歳の少年が36歳の大人の女性とのサイクリング旅行のために、大切なコレクションからカタログ価額が高そうなものを切手商に持ち込んで売却し、見事旅行資金を手に入れ相好を崩して大喜び!ってところ、切手蒐集家的にはインパクトの強いエピソードでしたね~。
私自身はカタログ価額といった価値に全くこだわりがなく、自分の価値基準でいいと思える切手(しかも、基本的に使用済切手だし)を蒐集しているだけなので旅行資金を手に入れるだけのお宝切手など持ち合わせていませんが、それでも大切な切手を手放してまで彼女との旅行を実現したいと願ったミヒャエルの心情は理解できるし、加えて、ヨーロッパでは年齢差なんて関係なくこういうときは男性が女性の分も負担する、って気概が15歳の少年にも当然のように備わっているのがさすがだなぁって思いましたね。
ダフィットくん、美しい手…というか美しい指の持ち主ですよね~。カタログを指さすところ、10代の少年の指先とは思えない大人っぽさが感じられます。
ルーペで透かしやコンディションを確認して売ったお宝切手が何だったのかは残念ながらスクリーンショットを見ても特定できませんでしたが、きっといい値段で売れたのでしょうね。切手商を出たとたん駆け出し、全身で喜びを爆発させている姿がまたいじらしくて。
更に、サイクリング旅行中にも彼の人となりが窺えるチャーミングな一幕がありました。
昼食をとるために立ち寄ったレストランでミヒャエルが会計を済ませようとしたところ、ウエイトレスのおばさんが皮肉交じりに
「お料理、お母様(←ハンナのこと)にもご満足いただけたでしょうか?」
かなんか聞いてきたのに対してニッコリ微笑んで
「ええ、彼女もおいしかったって言ってます」
と余裕で切り返したのですが、少し離れたところで待っていたハンナのもとに着くなり、振り返っておばさんの視線を確認してからこれ見よがしに彼女にキスして、さぁ出発しよっか、ってな感じで目くばせする…という一連の仕草はもはや15歳の少年のなせるワザじゃないだろう?と思わせるスマートさで、ミヒャエルやるじゃん!ブラボー!な瞬間だったのでした^^
ハンナと出会ってから、次第に大人びてゆくミヒャエル。
はりきってプランを考え、彼女の承諾を得て、親にお小遣いを無心したりすることもなく自力で軍資金を調達して実行に移したサイクリング旅行は彼にとっても、そしてハンナにとっても一生忘れられない、かけがえのないひとときだったことでしょう(原作ではこの旅行中にもっといろんな出来事が起こっていたようですが)。そういえばドイツ旅行記 ㉖で登場していた私の知り合いに似た女子も、まさにこれからサイクリング旅行に出発せんという風情でしたが、彼女もあれから楽しい週末を過ごすことができたでしょうか。
それにしてもドイツって自動車だけでなく、自転車の国でもあるんだなぁということがこの映画からも窺えますね。昨年末投稿した『東ベルリンから来た女』という映画でも主人公バルバラが颯爽と自転車を乗りこなしていましたし…あ・バルバラを演じたニーナ・ホスがハンナ役、ってのもアリって気がします!どちらかというと肉感的なケイト・ウィンスレットよりむしろニーナ・ホスの方が、映画後半の本筋の展開には適しているかもしれません。
旅の途中、気持ちよさそうに泳ぐ無邪気なハンナと、川べりに腰かけて彼女への一途な想いを詩に認めようとするミヒャエル。
まぶしい新緑ときらめく川面…詩情あふれるこの光景、この映画全編を通じて最も美しく、幸せを感じられるシーンだったように思います。
泳いでいたハンナに読んで聞かせてとねだられて
「まだ仕上がっていない。いつか聞かせるよ」
とこたえたその詩は結局、映画では明かされませんでしたが…
しかし、そんな幸せなときは長くは続かず、ある日突然ハンナはミヒャエルの前から姿を消してしまいます。
正確にはまったく唐突だったわけではなく、そんなことになりそうな予兆があり、胸騒ぎがして彼女のアパートに駆けつけたミヒャエルだったのですが…もはやハンナの姿はそこになく、もともと多くはなかった彼女の身の回りの品々もなく、僅か数時間前に彼女とともに過ごしたベッドに今はひとり横たわるミヒャエル。
これまでハンナがいたスペースがぽっかり空いて、喪失感や虚脱感が観ている者にもはっきり伝わってくるこのシーンで、またしてもオフコースの曲が私の中でぐるぐるしてきました。前回の投稿で『秋の気配』は私的オフコースベスト10に入る傑作だと書きましたが、このシーンでぐるぐるしてきた『あなたのすべて』も実はベスト10に入る名作なんですよねー。
曲も詞も素晴らしいのに、残念ながら動画サイトでは見つけることができなかったのでせめて歌詞だけでも…♪まーるでこどーものようになみーだがこーぼれた♪せつなくてーせつなくてーひとりー♪さりゆくーひとこよーなくしんーじていたーのに♪あのひとはああわたしからーきえーてーいったー♪
http://rocklyric.jp/lyric.php?sid=142325/あなたのすべて/オフコース
ここで前半の導入部は終わり、ハンナとミヒャエルの思いがけない再会が待ち受ける中盤へとシフトしてゆくのですが、私のレビューはこれで終了。
映画はこの先全く異なる方向へと展開してゆき、前半のラブラブなストーリーは枝葉末節とまでは言わないものの中盤から後半にかけての伏線であったことが後々わかってきます。とはいえ、おそらく映画では(興行収入を上げるため)原作以上にこの導入部の構成比を上げていたのではないかと推測され、それはそれで別に悪くはないと思っていますが…とにかく、この映画の主題は中盤~後半にあり、観た人によって感じ方がかなり異なる深淵なテーマを扱った重厚なストーリーであるということだけ記しておきたいと思います。
それから、この映画を取り上げた数多くのブログの中で、おそらく最も的確な解説と批評をされていたcruasanさんのブログのリンクも、ご本人の了解を得た上で貼らせていただきます。cruasanさん、ありがとうございます!
http://blog.archiphoto.info/?eid=1021650
ただ、最後の最後に、何十年にも及ぶ(不当な)刑務所暮らしの末、一週間後に出所を控えたハンナが独房で自殺を図るという悲しみの場面でまたちょっと驚くべき発見が…彼女が天井から首を吊って自殺を図るために高さを出そうと机の上にいくつかの本を積み上げるシーン↓で、かつてミヒャエルが彼女に読み聞かせた『オデュッセイア』や『戦争と平和』といったタイトルが見える(英語ですけど…)のは当然として、その一角に『リルケ詩集』が登場しておりまして。
ハンナから見て左上の本が、それです。
確かリルケも10代の頃に年上の女性と恋に落ち、その人のために多くの詩を書いていたのでメタファーとして使われたのでしょうか。それとも、ドイツにおいて『リルケ詩集』はバイブル的存在ということなのでしょうか。
とにかく私、不思議とリルケに縁のある今日この頃なのです。
それにしても、ハンナ役のケイト・ウィンスレットは美しかった…ミヒャエルと出会った36歳のときも年老いてからも、楽しいときも辛いときも、どのアングルでも常に美しく、本物の女優ってこうなんだーと思わせる美貌に脱帽です。鎖骨だってこんなにくっきり美しいんですもの、そりゃミヒャエルは夢中になるよねぇ~^^
と言いつつ、この映画の本筋を考えるとやっぱりドイツ人の女優さんが演じるべきだった、という考えに変わりはありませんが。
それから、公開当時邦題の『愛を読むひと』に賛否両論あったみたいですけど、日本って洋画でも洋楽でもとにかく邦題に訳すとき『愛』を付けがち(例:『愛と追憶の日々』=Terms of endearment /『愛と青春の旅立ち』=An officer and a gentleman /『愛と哀しみの果て』=Out of Africa /『愛と哀しみのボレロ』=Les uns et les autres)なので、個人的にはまぁそんなもんかな~って思ってます。
タイトルによって観客動員がどれだけ変わるのかなんて私にはわかりませんが、言葉とか語彙にセンシティブであるなら当然『愛を』は不要でしたよね。とはいえ『本を読むひと』とか『朗読者』じゃあ映画のタイトルとしていまいちピンとこないし、ここは愛があっても許容かな~というのが私の所感です。
最後に、ミヒャエルのストックブックにあった1958年発行の旧西独発行の切手のうち、私が持っている3枚をアップして終わりたいと思います。
まずはミヒャエルがピンセットを使わずに手でストックブックに収めようとしていた切手、あれは1958年9月に発行されたその年のヨーロッパ切手でした。1958年のヨーロッパ切手は国によって色とサイズが異なるものの、Europaの"E"の上にハトが飛んでいるという共通図案で発行されており、私も何気にドイツだけでなくいくつかの国のこの切手を持っていました。
ドイツバージョンの濃茶のような鮮やかなグリーンはもろに私好みで、グリーンの切手だけを集めたストックブックにこの切手を収めています。
次に、5月にフランクフルト動物園100周年を記念して発行されたのが、この切手。
この動物園の目玉はキリンとライオンだったのでしょうか…こちらもグリーンの切手だけを集めたストックブックに収納されています。
最後に『マックスとモーリッツ』の作者ヴィルヘルム・ブッシュ没後50年を記念して1月に発行された切手を。
因みに今年4月『マックスとモーリッツ』初版から150年を記念した切手がドイツで発行されていますが、1958年発行のこちらの切手の方がキュートで私好みです。
いずれも今から60年近く前に発行された切手にもかかわらず、古さを感じさせないシンプルなデザインは流石です。
私の中で『愛を読むひと』は、切手蒐集家の少年が登場する映画として記憶されることとなるでしょう。